
浪花酒造有限会社/成子善一
300年のその先へ。伝統にAIを取り入れた浪花酒造の挑戦

くいだおれと商いの街、大阪。山と海が隣接する阪南市に、300年以上日本酒を造り続けてきた「浪花酒造」があります。
和泉山脈から流れる上質な水源を利用した日本酒は、国内外で高い評価を得ており、これまでに全国新酒鑑評会で9度金賞を受賞。300年の伝統を引き継ぎながらも超えるべく、10代に渡る代替わりのなかで知識と経験を深め続けてきました。
そして、浪花酒造がその300年の歴史のなかで培ってきた技術を継承するために導入したのがAI蔵Labです。酒造りの行程や作業内容を、写真・マニュアル・データとしてAI蔵Labに残し、試行錯誤の結果とそこから見出した技術を未来につないでいこうとしています。
本記事では、「『背中を見て学べ』という職人文化が、技術継承において見えざる壁になっている」と語る浪花酒造の次期十一代目蔵元、成子善一氏にインタビュー。酒造りにかける想いや、技術継承のための取り組み、酒造りにおけるIT技術の活用方法、AI蔵Labの導入理由について伺いました。

浪花酒造 次期十一代目蔵元。海外留学や銀行員を経験後、3年前から家業に従事。配達や営業で地域に根ざしながら、職人とともに酒造りに励む。資格取得や研修を通じて日本酒への理解を深め、伝統を守りつつ新たな挑戦に取り組んでいる。
浪花酒造有限会社について
- 所在地
- 〒599-0201
大阪府阪南市尾崎町三丁目13番6号
地元・大阪の地で300年、愛され続ける浪花酒造
酒造にはその酒造に合った、水がある
浪花酒造の高品質な酒造りの背景には、2つの欠かせない資源があります。それが、「米」と「水」。米は地元産にこだわり、阪南市西鳥取にある波有手(ぼうで)の田地で、丁寧に育てられた「ひのひかり」や、酒米の王様「山田錦」を使用しています。
そして、日本酒の約8割を占める「水」に使用されているのが、和泉山脈の伏流水です。海に近い地形から貝由来のミネラルが豊富に含まれ、中硬水の硬さを持つのが特徴。程よいミネラルバランスが、酵母の働きを活性化して発酵を促します。「この水がなければ、今の浪花酒造はありません」と、成子氏。ただし、中硬水であることが酒造りのすべてではないと、熱を帯びた言葉で続けます。
「硬水か軟水か、そのどちらが優れているというわけではありません。軟水には軟水、硬水には硬水に適した技術があり、特性に合わせた造り方が重要なんです。一律の教科書通りに進めてしまうと、かえって水の良さを活かしきれないこともある。うちは、この中硬水に合った独自の方法を見つけ出し、それを磨き上げてきました。」

さらに浪花酒造では、水質だけでなく、お米への“水の吸わせ方”にも徹底したこだわりを持っています。酒造りの冒頭で行う浸漬(しんせき)は、仕上がりを左右する重要なポイント。
「最初にお米を洗って水に浸けるんですが、ここでどれだけ水を吸わせるかが、その後の発酵工程すべてに影響します。浸漬が短すぎると微生物の増殖がうまくいかないし、逆に吸いすぎると麹にとって水分過多になってしまう。だから杜氏が光にお米をかざしながら、水の吸い具合を目で判断してるんですよ。大手でも機械化が難しい部分で、毎年お米の状態が違うからこそ『俺は毎年1年生だ』と杜氏が言うくらい、本当に奥が深いんです」
このように、人の感覚や経験が物を言う工程が連なるのが日本酒造り。その一方で、麹づくりの段階ではAI蔵Labのデータも積極的に活用されています。
「特に麹(こうじ)は温度変化が激しく、一晩に何度も起きて温度や湿度を調整します。上がりすぎたら冷やす、まだ足りなければ温める……という操作を繰り返すんです。俗に『一麹、二酛、三造り』と言われるくらい麹は重要で、ちょっと失敗するとすべてに響きますからね。AI蔵Labのおかげで温度推移や麹の活動量をグラフでリアルタイムに確認できるので、経験則とデータの両面から麹づくりを進められるようになりました」
水や米の個性が年ごとに変わっても、その都度きめ細かく対応し続けるのが浪花酒造のスタイル。杜氏や蔵人たちの五感とAIの力が、地元の伏流水や米にさらなる可能性を与えています。こうして独自の資源を活かし切るからこそ、この地ならではの味わいが生まれているのです。
杜氏と蔵人たちがいなければ、至高の一滴は生まれない
手のしわに刻まれた、手造りへのこだわり

杜氏とともに浪花酒造の酒造りを支えるのは、3人の蔵人たち。年間約25,000本の1升瓶が、1年をかけて出荷されます。その背中には、浪花酒造が守り続ける「手造りへのこだわり」が宿っています。
「私が考える酒造りの本質は、手造りであること。日本酒は個性のある微生物を扱うため、たとえ同じ手順を踏んでも、毎回同じ結果が得られるわけではないんです。機械のサポートが進化した今でも、人の手や目、感覚は欠かせません。微妙な変化を見極められるのは、やはり経験豊かな職人だけです。」
一方で、手造りには手間と苦労がつきものです。昼夜を問わない温度管理、室温35度の麹室で蒸米をもみ続ける製麹、室温5度の冷えた空間で酵母を丁寧に増殖させる酒母。こうした丹念な手仕事の積み重ねが、日本酒の一滴一滴を生み出しているのです。
大阪から世界へ、日本酒の奥深さを伝えたい
天下の台所が生んだ代表銘柄『浪花正宗』
浪花酒造が磨き上げてきた技術は高く評価され、全国新酒鑑評会の受賞回数は9回を数えます。中でも注目を集めるのが大吟醸酒。浪花酒造の代表銘柄である「浪花正宗(なにわまさむね)」には、特別な思いが込められています。
「その名前は、日本酒を意味する『清酒(せいしゅ)』と正宗(まさむね)を音読みした『正宗(せいしゅう)』の響きを重ね、さらに名刀・正宗の切れ味を象徴して名付けられました。
『浪花正宗』が長く愛される理由は、洗練された味わいです。口に含むと、ふわっと広がる華やかな香り。そして、余計な甘さや重さを残さず、すっと消えゆく潔さ。まさに、『膨らみがありながら、後を引かない』という私たちの理想を体現した一本です。」

かつての“おごり”から、寄り添う蔵元へ
名酒・浪花正宗への敬意を抱きながら、「日本酒をもっと多くの人に広めるには」と思索を重ねる成子氏。余暇の選択肢があふれる現代で、日本酒の楽しさを知ってもらえたら……。「お酒に興味がない」と言う若者たちに振り向いてもらえたら……。
その一心で取り組むのは、酒蔵見学や酒造り体験などを通じた新たな出会いの創出です。
「酒蔵見学や酒造り体験は、先祖代々大切にしてきた取り組みのひとつです。とくに近年では、海外からの団体ツアーや観光客が増加し、日本酒の奥深さを日本語以外の言葉で伝える必要が出てきました。ただそれが、思った以上に難しい。日本酒には専門用語が多く、日本語でさえ理解が難しいことがあるんです。

たとえば『ひやおろし』は、冬に搾られた新酒を春先に一度だけ火入れし、秋に蔵出しする日本酒のことですが、この言葉だけでイメージを持てる方は少ないでしょう。また、大吟醸と吟醸の違いが精米歩合にあることを知らない方も多いですよね。
これまでの日本酒業界には、『飲めば良さがわかる』という姿勢があり、どこか“おごり”となっていたのかもしれません。だからこそ、これからは丁寧な説明と時代に合った伝え方が必要だと感じています。」
蔵で待つだけでは道は切り拓けない。浪花酒造から府外へ、さらに日本全国、そして世界へ。日本酒を多くの人に届けるため、成子氏は試行錯誤を続けます。
人の手とAIが共存する、新しい酒造りへの一歩
技術を次の世代へ。前を向いた先に見えた「AI蔵Lab」
勢いを増す浪花酒造ですが、日本酒業界全体に目を向けると楽観視できない課題が浮かび上がります。日本酒の国内出荷量は、昭和48年をピークに、ほかのアルコール飲料との競争に押され下降線を描いています。
さらに、高齢化の進行や厳しい労働環境を背景に、若い人材の減少が続き、後継者不足が深刻化。限られた人材で、知識と技術をどう受け継ぐかが問われています。
「『背中を見て学べ』という職人文化が、技術継承において見えざる壁になっています。これまで、酒造りの技術は杜氏の作業を間近で見ながら経験と勘で身につけるのが主流で、言葉で伝える仕組みはほとんどありませんでした。現在の杜氏は丁寧に教えてくれますが、それでも感覚に頼らざるを得ない場面も多い。金賞を取るほどの技術があるからこそ、それを次世代につなぎ、さらに発展させたいと考えています。」
古きを守りながら、未来に向けて何ができるか。模索を続ける中で、成子氏がたどり着いた答えが「AI蔵Lab」。酒造りを明日を支える、新たな活路でした。
「杜氏や蔵人の技術を守りながら、その経験や知識を継承する方法を探る中で、『AI蔵Lab』と出会いました。AI蔵Labなら、酒造りの行程や作業内容をデータとして記録できるだけでなく、写真や温度管理のグラフの保存も可能です。
たとえば、これまで感覚をもとに判断していた酵母の働き具合も、AI蔵Labは、泡の数をカウントして可視化します。人の目では捉えられない微細な変化を数字として記録することで、酵母の状態を誰でも正確に把握できるようになりました。現在では、麹の温度管理や酒母の酵母増殖工程など、さまざまな場面でAI蔵Labが活躍しています。

機械ではなく、AIだからこそ実現できる手造りの継承
一方、浪花酒造は「どれだけ機械化やコンピューター化が進もうとも、手造りの心を忘れず、美味しいだけでなく、心を満たす豊かな酒を造る」をモットーに掲げています。機械化に対して慎重な考えを持つ浪花酒造が、なぜAIを受け入れるのか。この問いに、成子氏はひとつの見解を示します。
「機械が一律の動きをするのに対し、AIは人の感覚を補うものだと考えています。言うなれば、蔵ごとの特性を引き出しながら、安定した品質を保つためのツールですね。“酒屋万流”という言葉の通り、酒蔵ごとに酒造りの方法も目指す味も異なります。教科書通りの画一的なやり方では、その個性を引き出すのは難しい。でも、AI蔵Labを使えば、個性を守りつつ再現性を高められるんです。
私が想い描くのは、AIにすべてを任せるのではなく、AIと人の手が共存する酒造りの未来。経験や勘に頼ってきた技術をデータとして蓄積して、これからの酒造りに活かすことを目指しています。」
人とAIが共に創る新しい酒造りが、今、動き出しています。